インバスケットを活用した能力開発研修の可能性

2024.08.01

インバスケットを活用した能力開発研修の可能性

インバスケットは、管理職の机の上の未決箱の中に入っている各種書類に対し、管理職になったつもりで、限られた時間内に処理することが求められるシミュレーションです。あえて自分の経験を活かすことができない環境(設定)のなかで、指示や連絡という行動(言動)を誘発することによって、その内容や傾向から能力を測定することができる点が特徴です。

このようにインバスケットは「能力を測定すること」に主眼が置かれますが、「管理職になったつもりで、限られた時間内に処理することが求められる場面で、自ら考え判断を下す」という演習は、能力開発を目的とした研修でも活用が可能です。

そこで、本コラムでは「インバスケットを用いた能力開発の研修」が持つ可能性を考察します。

※以下、「複数の未解決案件に対して対応するインバスケットの演習課題」を「インバスケット演習」、「インバスケットを用いた能力開発の研修」を「インバスケット研修」と記載します

インバスケット研修の流れ

以下、代表的なインバスケット研修の流れを示します。

Step1
参加者は、事前にインバスケット演習に取り組み、自身が作成した解答(アウトプット)を手元に用意した状態で研修を開始します。

Step2
参加者は、複数の案件についての自身の解答を踏まえてグループで議論し、グループとしての最適解(アウトプット)を講師が適宜介入しながら作成していきます。

Step3
各グループで作成した最適解(アウトプット)を発表し、参加者間で質疑応答を行い、講師から必要な解説を加えます。

Step4
最後に、参加者自身が事前に作成した解答(アウトプット)と各グループで作成した最適解(アウトプット)を比較し、何ができたのか/できなかったのかを各自で振り返ります。

このように、インバスケット研修では事前課題として、参加者各自がインバスケット演習に取り組み、それらを材料に研修当日は議論や講義を行う点が特徴です。

では、Step1~Step4を行うことで、どのような学習効果が期待できるのでしょうか?学習効果を「現状とあるべき姿の比較による問題の明確化」「学びの原理・原則に基づく効果性」の2つの観点で整理します。

インバスケット研修の学習効果①『現状とあるべき姿の比較による問題の明確化』

インバスケット研修で得られる効果として、以下の3点が挙げられます。

  1. 自分の現状(保有能力の有無や発揮度合い)が理解しやすい
  2. 期待されるあるべき姿の納得感(腹落ち感)が高い
  3. 現状とあるべき姿を比較することで、自分自身のギャップ(問題)に気づきやすい

ここでは、それぞれの学習効果を考える際の前提となる「As is / To be」のフレームワークを紹介します。「As is / To be」は、あるべき姿(To be)と現状(As is)の比較からギャップ(問題)を明確にするためのフレームワークです。

inbasket-competencies-development-trainings-L01管理職の育成であれば、

・自身の管理職としての現状を把握する(As is)

・管理職としてのあるべき姿を明確にする(To be)

・現状とあるべき姿の比較からギャップ(問題)を明確にする

というように考えます。

「As is / To be」のフレームワークは能力開発に限らず、自身のキャリアプランを構築する場面や、職場での問題解決の場面など、さまざまな領域で活用ができる考え方です。一方で、「As is / To be」のフレームワークを念頭に研修を設計・運営しようとすると以下のような問題が生じます。

問題①
参加者が自身の現状(保有能力の有無や発揮度合い)を理解することが難しい

問題②
あるべき姿の提示はあるものの、講師からの解説で押しつけられるため納得感が乏しい

問題③
結果として、自分自身の課題に気づくことが難しい(あるいは気づいても納得感が乏しい)

特に見落としがちなのが「問題①:参加者が自身の現状(保有能力の有無や発揮度合い)を理解することが難しい」です。問題解決をテーマとした研修であれば、自分が問題解決に必要な考え方や能力をどのくらい持っていて、実際にどのくらいできるのか(できないのか)を客観的に理解することは難しく、多くの場合はぼんやりとした現状の理解で研修に臨む場面が散見されます。

しかし、自身の現状に対する理解が不十分なまま「あるべき姿」を提示しても、自身の現状とのギャップ(問題)が見えず、十分な学習効果は見込めません。

このように、現状とあるべき姿からギャップ(問題)を明確にする「As is / To be」の考え方はシンプルですが、実際に研修で活用する際には上記のような問題が生じます。一方で、上記の問題に対して、インバスケット研修は一定の解決を示すことができると考えています。

問題①
参加者が自身の現状(保有能力の有無や発揮度合い)を理解することが難しい

Step1にあるように、自分が作成した解答(アウトプット)が手元にあるため、自身の現状が把握しやすくなります。 ※ただし、この時点では参加者自身が自分の解答(アウトプット)の良し悪しを自分で判断することは困難です

問題②
あるべき姿の提示はあるものの、講師からの解説で押しつけられるため納得感が乏しい

Step2・Step3にあるように、最適解(あるべき姿)は参加者が作成します。もちろん講師の介入もありますが、講師は参加者に答えを教えるのではなく、答えに繋がる観点を提示することに留めることで、参加者が自ら考えるような関わりを意識します。

問題③
結果として、自分自身の課題に気づくことが難しい(あるいは納得感が乏しい)

Step4にあるように、「現状」と「あるべき姿」で目に見える形であることで、参加者は自分の課題(できていること/できていないこと)を把握しやすくなります。

以上のように、インバスケット研修では事前課題として、参加者各自がインバスケット演習に取り組み、それらを材料に研修当日は議論や講義を行うからこそ、学習効果を得ることができます。

インバスケット研修の学習効果②『学びの原理・原則に基づく効果性』

立教大学経営学部教授の中原氏は、著書『研修開発入門-会社で「教える」、競争優位を「つくる」』の中で、学びの原理・原則として以下の要素を挙げています。

inbasket-competencies-development-trainings-L02これらの原理・原則は、インバスケット研修の実施内容と共通点が多いことが分かります。


多様性と螺旋の原理

インバスケット研修で行う「個人で検討する」「グループで検討する」「講師の介入を踏まえてさらにグループで検討する」という流れは、スモールステップでのステップアップと言えます。


学習者共同体の原理

グループでの検討においては、参加者それぞれの考え方(案件に対する対処)を持ち寄り、他者から学ぶ・他者と共に学ぶことが行われます。加えて、参加者一人ひとりが、さまざまな決断を迫られているインバスケット演習の当事者になっているため、学びの一体感が生まれやすい環境にあります。


フィードバックと内省の原理

個人やグループで作成した案件ごとの対応内容(アウトプット)は、他参加者や講師からフィードバックを受けます。目に見える形で解答(アウトプット)があることで、事実に基づくフィードバックを行うことができ、フィードバックを受ける本人の納得感も高まりやすいと言えます。

加えて、インバスケット演習の実施前後に求められる目的の原理><学習者中心の原理><エンパワーメントの原理を盛り込むことで、学習効果の向上が見込まれます。


インバスケット研修で何が学べるのか

インバスケットは、ヒト・モノ・カネ・情報等に関わる複数の事案が組み合わされているため、参加者に応じて複数の学習テーマを作ることが可能です。

例えば、顧客からのクレームの事案を用いて「問題解決」を学ぶ、自身が参加できない会議への対応の事案を用いて「他者への指示・巻き込み方」を学ぶ、部下の悩み相談の事案を用いて「部下育成」を学ぶ等が挙げられます。

コラム『 インバスケットとはどのような手法のツールなのか?~可能性と限界を知り、適切な活用範囲を考察する~ 』で紹介の通り、インバスケットを能力評価で用いる場合は、「管理職の思考活動領域」を中心に測定・評価を行います。一方で、管理職にはメンバー育成やチームマネジメントなどの「対人活動領域」も重要なため、能力評価を行う場合は、インバスケットだけでなく、面談演習などの他のシミュレーションとの組み合わせによって複合的に評価するアセスメントセンターで実施することが推奨されます。対して、インバスケット研修の場合は、思考活動領域だけでなく対人活動領域を学習テーマとして設定することができます。

前述の通り、他者への指示・巻き込み方や部下育成で押さえるべき観点をインバスケット研修で学び、具体的な方法や関り方をロールプレイ等で学ぶことで、対人活動領域における知識と体験の双方を得ることが可能です。

特に管理職には、複数の能力を組み合わせて、その場に必要な効果的な行動が求められるため、「思考活動領域」「対人活動領域」の双方を学ぶことができるインバスケット研修は能力開発を促す上で効果的な方法だと言えます。

インバスケット研修で本当に学びを得られるのか

インバスケット研修で扱う題材(インバスケット演習)はあくまで架空の設定です。加えて、「研修=講師が教えるもの」というある種の固定概念があるせいか、「架空の設定で学んでも意味がない」「講師が用意した答えを学ぶことに意味がない」といった声を耳にすることも少なくありません。

確かに、架空の設定を題材に議論を行い、その結果(答え)の良し悪しを比較するだけでは意味がないでしょう。

では、インバスケット演習で得られる本質的な学びとは何でしょうか?それは、結果に至るプロセスの中にある、学習テーマにおける原理原則(理論や押えるべき観点)だと言えます。

インバスケット演習で直面するさまざまな問題に対する、「自分で考える」「自分とは異なる他者の考えに触れる」「考えが異なる他者と議論をする中で最善の解を導く」という一連の取り組みは、ビジネスにおける問題解決の取り組みと似ています。

しかし、インバスケット演習がビジネスにおける問題解決と異なるのは、結果ではなくプロセスにこだわる点です。

ビジネスの場面では、プロセス以上に結果が重視されます。ビジネスでは、結果のためであればプロセスを問わない…ということも少なくありません。しかし、インバスケット演習では結果に重きを置かず、そこに至るまでのプロセスを重視します。なぜなら、結果に至るプロセスにこそ、ビジネスの場面に活かすことができる再現性の高い学びが多く含まれているからです。

「なぜ、その結論に至ったのか?」「自分と他者の違いはどこにあるのか?」「より良い解決に向けて押さえるべき観点は何だったのか?」等、結論にいたるプロセスを他者と比較し、振り返ることで、学習テーマにおける原理原則(理論や押さえるべき観点)を学びます。

インバスケット演習という架空の設定だからこそ、参加者が同じ状況で考え、議論をすることができ、比較を通じて得られるもの(比較をする意味)が生まれるとも言えます。

プロセスを重視するインバスケット研修において、講師とは「答えを教える者」ではなく、参加者が自分の思考プロセスを振り返ることができるよう「その場の環境を作る者」あるいは「問いを投げる者」と言えます。

講師からの解答例を提示する場面はあるものの、「講師から与えられた答え」に価値はなく、参加者が取り組みのプロセスを振り返り、そこで掴み取った学びにこそ本質的な価値があります。

インバスケット研修の課題

課題①
事前に行うインバスケット演習への取り組み方が参加者によってバラツキやすい

参加者は事前にインバスケット演習に取り組みますが、集中して取り組む参加者もいれば、業務多忙等で必ずしも集中して取り組むことができない参加者もいます。

しかし、前述の通りインバスケット研修では「自身が取り組んだ解答(アウトプット)」が重要となるため、参加者にはできる限り集中して、最善の解答を作成することが求められます。

したがって実施にあたっては、事前の案内資料を充実させる、必要に応じて事前のオリエンテーションを行う等の工夫が必要となります。

課題②
参加者によって解答した案件・解答しなかった案件が異なる

インバスケットを実施する際、参加者によって解答する案件は異なります。

インバスケットを能力評価に活用する場合、対応する案件・対応しない案件の違いは、評価を行う際の判断材料の1つとなります。

一方、インバスケット研修では、共通の学習テーマで学ぶために、できるだけ全員が対応した案件を題材にすることが望ましいと言えます。

したがって、あらかじめ必ず実施する案件を指定する、多くの参加者が対応した案件を講師が取り上げる等の工夫が必要となります。

以上のように、インバスケットを用いて研修を実施する場合は、インバスケットの特徴を踏まえた事前準備・当日の運用が求められます。

まとめ

  • 能力測定に用いるインバスケットは、能力開発を目的とした研修でも活用できる
  • インバスケット研修で得られる効果として、①自分の現状(保有能力の有無や発揮度合い)が理解しやすい、②期待されるあるべき姿の納得感(腹落ち感)が高い、③現状とあるべき姿を比較することで自分自身の課題に気づきやすい、ことが挙げられる
  • さらに学びの原理・原則の観点からも、インバスケット研修は学習効果が見込まれる
  • インバスケット研修では、思考活動領域に限らず対人活動領域の学習テーマを設定することも可能(ただし、事前準備やテーマ設定等に工夫が必要)

いかがだったでしょうか? 今回は、インバスケットを用いた能力開発研修の可能性について考察を行いました。

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この記事の著者

株式会社リードクリエイト チーフコンサルタント 久保 敦史

小売業界・教育業界での業務経験を経て、リードクリエイトに参画。コンサルタントとしてアセスメントプログラムや研修に登壇する傍ら、社外ではキャリアコンサルタントとして面談を通じた個人のキャリア形成支援やキャリアコンサルタントの指導・育成にも携わる。

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