若手社員の育成を真剣に考えてみる-ある社員の10年間の成長と葛藤の記録

2023.08.21

私たちリードクリエイトは、人の成長と組織の発展を支援する会社です。
「人の成長には無限の可能性がある」という基本思想のもと、ビジネスパーソン一人ひとりが成長していけば、その先には明るい未来が必ず拓けると信じています。

本コラムは、弊社社員が、新卒から10年の中で実際に経験したことを振り返るとともに、今、人材育成に関わる責任ある立場として、「若手の成長とは何か」について改めて考え、向き合う機会として執筆されています。

美談や理屈、統計的な総論として語られがちなテーマだからこそ、絶対解が存在しない「人の成長」について、日々向き合っている人事の皆様に何らかの気づきを得ていただけると嬉しいです。

序章…人材育成を扱う立場である自身の変化の過程を振り返る

2023年4月を迎え、私が新卒で入社をしてから10年が経ちました。
人材育成を生業とする会社で働く者として、自身の成長過程を振り返ることで、「人の行動が変化する出来事や転機」について考えを整理する良い機会だと思い立ち、本コラムを執筆しています。私は、平凡よりむしろ優れない部類の人間だと自覚していますが、それでも少なからず変化があった過程を顧みることで、人材育成に携わる方々にとって何かお役に立つことが記載できれば本望です。

この10年間で様々なものが変化しました。社会情勢も、多くの職場環境も、世の中の価値観も、そして私自身も、少なくない変化をしました。企業によって10年目社員がどういった役割や業務を担うかはそれぞれだと思いますが、10年費やしても自分でできるようになることはほんの僅かだという実感です。それでも、その「僅かなできること」を増やすことはとても大変です。特に、私は幼少期から、他者が成し遂げる普通や当たり前を理解し、できるようにするまでに数倍の時間と労力がかかりました。学生時代から、環境に慣れることに苦手意識があり、要領もよくない自分は、社会に出て組織に属すことに不安しかありませんでした。

就職活動を行ったのは2011~2012年にかけてであり、企業がリーマンショックの痛手をまだ持ち直し切れていない頃でした。ただでさえ買い手市場の状況で、優等生とは言い難い身なりと性格、冴えない学歴・スキルだったこともあり、当時50社以上の企業へ応募をしたのも空しく、ほぼ全て不採用という結果でした。内定をいただけた企業も数社あったものの、自分にとって将来の見通しが描けないことが引っ掛かり、煮え切らないまま就活サイトを検索し続けている中で、現在働いているリードクリエイトを見つけたのです。事業内容やコンセプト、職種説明を見て、大して具体的な事業・業務内容を分かっていないのにも関わらず、初めて「ここで働きたい」と感じたことを思い出します。その後すぐに応募をし、審査を経て、採用されるに至ったのです。今考えると、会社側も勇気が要ったことだろうと思いますが、この会社ならやりたいことに通じると感じたあの時の直感は、間違っていなかったと思います。

しかし、前述した通り、少々癖のある私が働くというのは予想通り簡単ではなく、苦難と葛藤の連続でした。改めて、これまでの体験を振り返り、その中から特に印象的な「変化のきっかけ」を3つ挙げる中で、特に若手社員の成長に通じる大切なことを考えてみたいと思います。

第1章【入社】態度が大きいロースペック新人

新入社員研修として、社長講話、事業説明、他部署交流、職種説明、業務概要説明などが行われました。真剣に学び取ろうとしたものの、あまり理解ができなかったというのが本音です。一か月程度の期間、日報を提出するように指示された際も、まずタッチタイピングができないことに苦しみました。そもそも、Microsoft officeの基本ツールの使い方が分からない、ビジネス文書の種類も形式もメールの書き方も電話応対の仕方ももちろん分からないなど、業務スキルの基礎的な部分が全く備わっていませんでした。

それに対し、態度は著しく生意気に見えたはずで、期待されていたであろう「新人らしさ」は微塵も出せませんでした。元来、年齢での序列観が嫌いだったこともあり、社内での会議や業務指示にも何かと質問や意見をしていました。上司や先輩からすると、「いいから言うことをとりあえず聞いておけ」と何度も思ったことでしょう。一方で、そう思われているだろうことは認識しつつも、意に介さなかったのも事実です。今でもこうした根本的な価値観は変わっていませんが、当時は刺々しく態度に出ていたのだろうと思います。

今になって振り返れば、決して不真面目でもなく、誰かを困らせたいという類のものではなく、新たな環境に適応しようにも、その対象も、やり方も、押さえるべきポイントも見えてこない状態だったのだと思います。

第2章【初期】「まず自分で考えさせるスタイル」の重要性とワナ

いわゆる「厄介な新人」でしたが、それでも意見や質問をすることに対していきなり𠮟りつけられることはありませんでした。むしろ、新人でも意見を出すことを奨励してくれ、真摯に向き合おうとしてくれた先輩陣だったと思います。仕事を進める上で、「考える」「自分なりの意見を言う」ことを徹底する方針はチーム全体で共有されており、事あるごとに「その背景は何か?」「なぜそれが起こっているか?」「課題は何か?」「目的は何か?」を問われ続けました。この方針は、自分の性格にも合っていたので苦ではなかったというのもありますが、常に思考し、持論を発信する行動はビジネスパーソンとして欠かせないことです。日々の上司や先輩との関わりという、職業人生に重要なスタンスを体感的に固められる環境に身を置けたことは幸運だったと思います。

一方で、「まずは自分で考えさせる」というスタイルが生み出した弊害もありました。当時は、業務の流れや内容が体系的に形式知化されていませんでした。そのような状況で、自分でまず考え、意見や資料を出したところで、大抵質問が返ってきました。打ち合わせをするにも資料を作るにも、試してみては五月雨で修正の指摘を受けることの繰り返しだったと記憶しています。何を目指して指摘をされているのかが掴めず、先輩の商談の同席という形で見学する機会も与えられていたものの、解説は特になく、見る観点や学び取る要点がわからないまま無駄に過ごしていました。育成方針や基準についても、先輩ごとの考えがあるため、その把握が最初の壁となりました。何を期待されているのか、何が気になるポイントなのか、どういう考えなのかが当時の私にはわからなかったのです。その結果、先輩ごと合わせてアプローチや対応方法を考えることに疲弊してしまったのです。

当時の経験から、今、私が新人・若手育成にあたる際は、正解ではないにしろ、「仕事の目的」「基本のフロー」「押さえておくべき事項」「使えるリソース」については、一定の情報をこちらから先に示すことを心がけています。フィードバックをする際にも、その意図を伝えるように徹底しています。自分の頭で考えることは重要です。だからこそ、良質な思考をするための土台となる知識や情報、そして何より、全体像や目的を押さえることは、絶対に外してはならない要素だと学びました。

第3章【低迷期】負のサイクルと負のコンディション

新卒からの3年間は重要だと言われます。3年経つと、業務の習熟度、慣れ、会社への理解などが一定進み、成長のスピードに差異が出てくるからこそ、社内での現実的なキャリアを検討し、転職を決断したりすることが多いタイミングです。

そのような大事な入社後3年間、私はというと、記憶がそもそも曖昧な状態でした。要領が極端によくなかったこともあり、一つひとつの業務に対してかなりの時間がかかり、必要な作業も終わらせられず、日々残業して帰りが遅くなり、睡眠時間が連日不足しているという状況でした。

睡眠が十分に取れていないために思考活動が鈍り、特に知識が及ばない領域の仕事場面では、混乱することが多くなりました。自分で話し出しておきながら、最初に何を話そうとしたのかさえ忘れてしまうことが頻発するなど、負のサイクルと負のコンディションの中で、苦しみ、もがいていたのだと回想します。このような状態の中では、当然成果は生まれず、自分がどこに向かっているのか、そもそも進んでいるのかさえ自信が持てなくなり、自己嫌悪とともに業務の効率がさらに落ちることを繰り返していました。考えて会話することや情報の整理をすること、記憶をすることにおいて、著しく支障が出ていたように思います。

そして、その頃の睡眠不足は成長を阻害していただけではなく、その後身体的な代償も生じさせました。人によっては睡眠は数時間でよい、無駄でもったいないという価値観もあるのかもしれませんが、私の場合は睡眠が圧倒的に必要だと痛感しました。自分の成長の前に、睡眠や食事、休養といった健康的に生きていくための基盤を整えることが何よりも重要です。また、先人の知恵と知見を活用し、育つ環境と教えるプロセスを用意すれば、効果的・効率的に人の成長を促すことができるのではないかという問題意識を抱くようになりました。限られた条件や環境の中でも成長することは十分可能であり、体調面のハンディキャップが多少あったとしても活躍できる人を増やすために何を為すべきかを、意識が停滞しながらも考え続けていました。

第4章【転機1】やめることを教えてくれた上司

このような思わしい状態ではない私に変化があった一つ目のきっかけは、4年目に配属された先の上司の存在です。

その上司は、とにかく私に「やめること」を教えてくれました。知識もスキルも何もかも、「足していくこと」にしか意識がなかった私にとって衝撃だったことを記憶しています。

まず、決して控え目とは言えなかった「つけまつげ」です。業界によっては問題ない面もあると思いますが、自分自身の職種や商材に鑑みると、つけまつげがメリットに働くことは皆無です。ただ、それも自身への見た目への根深いコンプレックスがあったため、どうしても外せなかったのですが、私の限界を感じとったのか「つけまつげやめたら?」という上司の発言で、不思議と「もういいや」と思えたのです。その上司は「事実と解釈」「自己と周囲の事象」を切り分ける力に長けている人で、人間味に富んでいるし情も深いが、情報の切り分けは徹底したプロでした。その一種冷静な考え方とスタンスがあったからこそ、気兼ねなく安心して接し、話を聞くことができたのだろうと思います。そしてその思考力・スタンスは仕事上だけではなく、「目的から考え、重要なものを見極め、必要のないものは手放す」という、生きる上で役立つものとしての気づきと学びがあったのです。

その日をきっかけに、業務上においても「その作業やめたら?」と言われてやめた結果、どんどん成果がでるようになりました。あれもこれもとやろうとして、結局すべてができないままで潰れてしまっていた私にとってはまさに衝撃的でした。上司は、現実的な取捨選択を示してくれるだけでなく、その結果については自分が責任をとるということも言い切ってくれていたことも大きかったように思います。傍観者としてのアドバイスではなく、いつも当事者としての立場で安心感を与えてくれる存在だったのです。

「身につける」「覚える」「新たに取り組む」といった、プラスαの思想が教育上は強調されがちですが、「何かをやめる」「捨てる」「手放す」ことから得られるものがあることを忘れてはなりません。そして、何かをやめる際の裁量や影響を考えると、若手社員個人には難しいことも多いため、時には組織や上司が采配を振るわなければならないこともあります。こういった側面を踏まえつつも、「必ずやること」と「やめること」「そこそこにしておくこと」のメリハリをつけていくことが、人の行動を変えるうえでとても重要なのだと私は考えます。

第5章【転機2】危機感と変化を後押しする環境

二つ目のきっかけは、先般のコロナ禍による社会生活・就業環境の変化です。

これまでの「当たり前」が通用しなくなったことから、物事を抜本的に変える好機になったように思います。弊社でも、これまでのやり方が通用しなくなった部分が多くあり、新しい取り組みを始めやすい、変えやすい機運が高まっていました。実際に、コロナ禍で過ごしたこの数年間で、業務の仕方、ビジネスプロセス、働き方においては特に大きな変化として実感しています。私も新しいあり方・やり方を作り上げるために社内のメンバーと協力し、積極的にできることはないかを探して関与していきました。前例や正解がない分、考えて作り上げる工程は時間も負荷もかかったのは事実ですが、一方でメンバーと試行錯誤することが純粋に楽しかったというのが本音です。企業にとっての危機的状況ではあったものの、自分にとってはこの環境の一大変化がチャンスにしか見えなかったのです。「これからのスタンダードを自分たちで構築できる可能性がある」「自らが主体的に働く環境を選択しながら貢献領域を増やせる可能性が拡がる」「組織風土もより良い方向に創り上げることができる可能性がある」などといった、期待を抱きやすい状況であったと感じます。

そして、そう思えたのは、試行錯誤への裁量を与え、褒めつつも適時協力をして自由にさせてくれた経営側と、部署や職種を超えて課題感を共有でき協力を惜しまない職場のメンバーの存在が大きかったのだと思います。コロナ禍は顕著な例かもしれませんが、環境が人の行動を後押しし、個人もチームも組織も成長させた好事例とも言えるのはないでしょうか。

第6章【転機3】あらゆる感情を肯定される体験

三つ目のきっかけは、職場外の経験となります。

職場のメンバーから、あるタイミングを経て「雰囲気が変わったね」と多く声をかけられたくらい、変化したことがあります。結果的に、以前より任される役割が増えたり、周囲のメンバーが頼ってくれることが増えたり、業務の進め方が安定したりしました。

きっかけというのは、「対人関係療法*におけるカウンセリング」を受けてからです。自分自身が諸々の事情を抱える中で、仕事には影響を極力出さないように努めてきたつもりでしたが、生きている人間としては同一の一人の人間であるため、心身の状態を機械のようにすっぱりと切り分けることはできなかったというのが実際です。

決して、カウンセリングありきで人の成長を論じたいというものではありません。お伝えしたいことは、その療法を通じて、自分の生き方だけでなく、日常でも職場でも通用する気づきを得られたということです。「他人の領域に自分が入り込まない(思うように動かそうとしない・不適切な期待を抱かない)」「相手にお願いは伝えるが、その後は相手の問題」といった考えを知り、そう捉えなおす練習をしました。そして、カウンセリングの過程では、自身の人生年表をもとに自己に関連するこれまでの出来事と心境をカウンセラーに整理してもらいながら話を聞いてもらうのですが、「つらかった」と私が言葉にしたときに、カウンセラーは一切否定せず勝手な解釈もせず、ただ味方として受容してくれたのです。物心ついたころからずっと抱いてきた感情を、初めて尊重されたように感じた体験でした。この頃から、精神的な状態も変わり、雰囲気が変わったと周囲から言われるようになったのです。

感情を認められる行為は、人間にとってその人の振る舞いを変えるくらいにとても重要です。人の変化は、何かを与えられたから起こるものではなく、その人個人がもともと持っているものが引き出されて変化が起こるのだろうと解釈します。成長も一つの変化と捉えるならば、持っているそれぞれの特性をまずは認め、望ましい方向に引き出されるような状況を作ることが得策と言えるのではないでしょうか。そして心が関わるそれは、時に一人では成せないものなのだと言うことです。

私にとってのきっかけは、職場外のカウンセラーという存在でしたが、本質は「自分を認め、受け止めてくれる存在」であり、自分らしく生きていくための最も大切なことなのかもしれません。

*対人関係療法は科学的根拠に基づいたカウンセリングです。詳細は専門書・専門サイトを参照ください。

第7章【まとめ】多様な成長の可能性を広げたい

ここまで、私自身の10年に渡る職業人生を赤裸々に書き連ねてきました。受け止め方も人それぞれだとは思いますが、自分自身の経験から得た、人の変化や成長についてまとめてみたいと思います。

大事なことは、どれだけ「変わり続けたい」「成長し続けたい」という思いを抱けるかということなのだと思います。ただ、必ずしも人間は強い生き物ではありません。私のような普通の人間にとっては、世の経営リーダーや偉人のようには生きられないのです。だからこそ、上司や同僚と共に、苦難を乗り越えていく中で切磋琢磨しながら、「ほんのちょっとの変化」を積み重ねていくことが大事なのだと思います。そしてその変化は、必ずしも苦難の中だけに存在するのではなく、楽しさや喜びの中にも存在するはずです。慣れない環境の中で挑戦することは勇気も必要で、未知が故に不安はあるけれど、心身を消耗して犠牲にしなくてもよいのだと思います。何がきっかけでどのような変化が生まれるかは、個人によって異なるからこそ、自分の可能性や人生に少なからずの希望や期待を持ち、何かを見出そうとして真面目に向き合っているかどうかが、「人生を変えるきっかけ」の数や内容を変え、その小さな積み重ねの跡こそが、「人の成長」なのだと思います。

 

客観的考察

弊社社員が、職業人生10年目という節目において、「人の成長」について考察するという趣旨で、本コラムを執筆しました。

人材育成を支援する会社として、決して「うまく育成できた」とは言い難いエピソードも多々ある中で、若手の葛藤と成長のリアルに真摯に向き合うべきという思いから、本人の勇気のいる自己開示を前提とした構成となっています。

人材育成においては、いつの何をもって成功とするのかは容易に定義づけできないことだと認識していますが、少なくとも本コラムを執筆した社員が、11年目の今現在、職場の中核となるリーダーとして、生き生きと活動している姿を見ると、素直に嬉しい気持ちになるのも事実です。

最終的には、自己信頼を如何に持てるかが重要であり、そのために経営も職場も上司も、そして本人が、「誰しもが成長できる、変化できる」という思いをもって、少しでも良い方向に進んでいこうとする行為そのものが人材育成であり、人の成長を考えるうえで大切なのだということを改めて思い知らされました。

 

この記事の著者

株式会社リードクリエイト

LEADCREATE NEWS LETTER

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