ジョブ型雇用への制度移行を含めて、教育体系の見直しを迫られている企業が増えています。一方で、従来の延長線上で検討を進めた結果、思いを込めて作った教育体系が、うまく機能していないという問題に直面している人事担当者も多いのではないでしょうか。
当然、教育体系は作って終わりではなく、運用させていく中で体系そのものを育てていくという発想が重要ですが、単なる「人事の思いや本気度」といった精神論ではなく、人間の行動原理を理解したうえで、対策を講じることが重要です。
前提となっている自社の人事制度が持つ特徴を押さえることの重要性
ジョブ型への移行の是非が論じられるようになって久しいですが、雇用に対する経営指針と人事諸制度は強く繋がっています。当然、その下位思想となる教育制度も密接に繋がっており、「教育だけ」を切り取って検討しても機能するはずはありません。理想の教育体系を構築する手順については、書籍やネット情報を検索すればいくらでも見つけられると思われますが、期待通りに人材が育つことを見据えた時に、何を押さえるべきかを本コラムでは考えてみたいと思います。
まず、多くの日本企業が取り入れてきた従来のメンバーシップ型は、長期雇用が暗黙的に約束された人事制度であり、その分、異動や昇格、教育などの多くの要素が、「人事という中央集権によって一律的になされてきた」という背景があります。あくまで人事が主であり、社員はその決断に従うという構図であると言えます。教育の観点においても、結果として「人事が準備した教育制度に無条件に従う」という受け身の姿勢が常態化していました。そのため、従来の雇用形態による経営と社員との主従関係がある中において、研修受講への社員の受け身の姿勢を嘆き、その責を社員のモチベーションに見出しても、制度というハードが与える影響の大きさを考えると、あまり建設的とは言えません。重要なことは、制度・仕組みが持っている行動に影響を与えるシステムを見極めることであり、「変えるべきモノ」を明確に捉えることです。
もし仮に、ジョブ型への移行を前提とした教育体系を検討している場合、上述の人事・社員双方の心理的な大前提を押さえ、「行動に影響を与えるシステム」を変える工夫を施すことが必須です。リスキリングもキャリア自律もまさにこのシステムへのアプローチがポイントであり、機能しないのは社員の意欲の問題ではないという認識を持つことが起点です。職務要件を明文化することはジョブ型の一要素ではありますが、新卒一括採用、一斉の配置・異動・昇格など、人事諸制度の運用が、従来と同様の人事の中央集権型のままでは、土壌が変化していない中で、表面上の見せかけを変えているだけであり、機能するはずがありません。
教育体系を見直す際には、「作り方」を知るだけでは不十分であり、社員に望む行動を起点に、「どのようにすれば期待する行動が誘発できるのか」を押さえることが重要です。基本的な考え方は、従来の「人事が準備したものを社員に受けていただく」ではなく、「社員のキャリアを支援するために人事が環境を手配する」ということです。似ているようで全く異なる概念だけに、まずは「行動に影響を与えるシステム」に着目したパラダイムシフトが大切になると考えます。
教育体系と研修体系を同義で捉えることのリスク
教育体系がうまく機能してない最も大きな要素の一つが、教育体系を研修体系と同義で考えている人事が多いことです。研修体系は教育体系の一要素に過ぎず、イコールではありません。スキル教育一つをとっても、そもそも現場のあらゆるニーズに対して、自前ですべて整えることは現実的に不可能です。オーソドックスな体系は、階層別教育と選択型教育を軸にして設計されていますが、網羅的にカバーしないと体系として不十分であるという考えは、従来の人事による中央集権型の制度運用の弊害的な発想でもあると言えます。人事が整えるのは、最も重視すべき教育だけに特化させ、それ以外は個人の主体的な学習を支援することを前提に設計すべきなのだと考えます。
上述のような網羅性に囚われた発想をもたらす諸悪の根源は、私たちのような人事系コンサルティング会社や教育・研修ベンダーかもしれません。「より多くの研修を発注いただくことが業績向上の鍵となるビジネス」であるため、教育の重要性を説き、多くの提案を行ってしまう傾向は否めません。お客様から相談を受けた際に、「まずこの研修やめませんか?」という提案をして驚かれることがありますが、教育体系を考える際の大事な論点として、研修はほんの一部であるという考えを持つことが大切だと思います。むしろ研修を起点に描くのではなく、「理想の学び」を起点にして、研修というサブ要素をどのように位置づけるかが大事なのではないでしょうか。
また、本来の目的やゴールが曖昧になってしまっている研修が、「前年踏襲」の名の下に実施されていることも見受けられます。企画当初は明確な意味を持っていたはずの現場上司を巻き込んだ取り組みなどが、いつの間にか形骸化してしまっているなど、「いったい誰の、何のための研修なのかがわかりづらくなっている」こともあるのではないでしょうか。特に、研修受講後の「効果測定」に関しては、受講者のアクションプランを徹底させるという人事からの過度な介入が、本来的に目指すべき「主体的な学び」を阻害する一番の要因になってしまっているなど、「研修」を起点に考える思考を見直すことが重要です。
同様のこととして、「人事が重要だと位置づけている研修」において、研修対象者の受講に対するモチベーションが低いので、そこを高めてほしいという依頼を受けることがあります。困っている人事担当者を可能な限り支援したいと思う反面、受講に対するモチベーションを外部に頼らざるを得ないということは、少なくとも教育体系は破綻していると判断せざるを得ません。研修のために社員がいるのではなく、社員の成長のために研修という機会があるという至極当たり前のことに気づけるかが、非常に大事なのだと考えます。
そもそも認知されていないことを理解すべき
もう一つの重要な論点として、人事が思っているほど社員は自社の制度、特に教育体系についての理解はないという自覚を持つことです。むしろ「知らない」という方が現実的なのだと思います。残念ながら、人事が費やした時間や熱量のほとんどは社員に伝わっておらず、そもそも人材育成上のポリシーや教育体系図そのものも、知られていないという前提に立つべきでしょう。
知られていなければ、その良し悪しを判断することはありません。冒頭にあるように、「人事が準備している研修に声が掛かったから受講する」というスタンスが、受講対象者だけではなく上長にも定着してしまっており、受講後の主体性なき不満へと繋がってしまうのです。一方で、「知られていないのであれば上長などへの現場キャラバンを増やそう」という解決策に猛進すればするほど、人事のための研修というメッセージが強化されてしまい、本来意図する社員の主体的な姿勢の醸成には繋がらないというジレンマに陥ってしまいます。
そのため、理想は「結果的に知っている」という状態を作ることにあります。それも、人事からの説明という目に見える特別なアクションではなく、社員本人の日常の自然な行動の結果として、「自社の教育理念や体系、成長機会」がどのように準備されているかを認知できるかどうかが重要です。これは、教育体系を先に考えるのではなく、日々の業務における成果や評価、異動や配置という社員が接する重要なイベントに合わせて、教育に関する情報に自然と触れられる状態を作り上げることが理想です。「学ぶこと、成長することへの必要性を痛感した時に、必要な情報に接触できるか」が重要であり、そのタイミングは人事が計画的に作れるものではなく、社員個々に委ねる方が本質だからです。
一方で、人事がタイミングを作ることができるものもあります。例えば、入社時や管理者などの新たな職位に就くなど、環境が大きく変化するタイミングについては、経営や人事による意図的な仕掛けが機能する可能性も高いはずです。ただしこれも、どのような制度を前提にしているかによって異なるため、人事が意図的に作りだすタイミングは「いつの、誰なのか」を明確にしておくことが必要です。少なくとも、ジョブ型を本格的に導入するということは、昇格や昇進、異動や配置という要素は、人事主導から現場主導へと移行していくため、やはり導入する制度と運用実態に照らし合わせて考える必要があるということです。
教育体系がない組織は何が問題なのか?
ここへきてそもそも論になってしまいますが、もし仮に「教育体系がない」としたら、どのような問題が発生するでしょうか。教育体系を構築することを大前提としている場合には、抜け落ちてしまう要素が逆に見えるかもしれません。自社の教育体系を考える際には、敢えてこの問いを立てることが重要です。一切の教育機会を人事が準備しなかった場合、どのような弊害が生じるのかという問いへの解は、人事そして人材開発担当者の存在意義に関わる本質的なテーマだと考えます。
単純に、社員のスキルアップや能力開発だけを目的とするなら、敢えて会社としての教育制度を自前で作るのではなく、社員個々が必要性に応じて外部のコンテンツを利用し、そこへの資金的な援助を行う方が、多様化する個人の能力開発ニーズには合致しているという考えもあるはずです。特に昨今では、YouTubeに代表する無料の良質なコンテンツに溢れており、ほかにも書籍や外部セミナーなども探せばいくらでもある恵まれた時代です。
それらを考えた時に、自社独自で教育制度を整え、敢えて実施することの意義という観点で何が残るかということを言語化すべきと考えます。そこに残されたものにこそ、経営・人事としてのこだわりや、持つべき理念や思想があるはずだからです。社員が学べる教育制度を充実させた方が良いに決まっている一方で、絶対に外せない領域を充実させることにこそ、自社独自の教育制度への価値が高まるのだと考えます。
いずれにせよ、「教育」という言葉にはポジティブな意味合いが多分に含まれているため、逆説的に言えば、手放しで「実施することが善であり、実施しないことが悪である」という思想に陥りやすいと言えます。私自身、教育に関わる業界に身を置いている者として、教育の必要性や可能性を信じてやまない人間ではありますが、その本質的な意味や意義に立ち返るためにも、「なかったら何がダメなのか」という問いに対する解を持つことが、自社の教育体系を考える上で絶対に外してはならない論点だと考えます。
社員教育の本質的な意義
人事の思いや情熱といった情緒的な要素から離れて、機能的な面でドライに考えると、各社の教育制度を充実させることの意味は、「社員が成長することで成果が高まること」と「向かう方向性を一致させ力を結集すること」に尽きるのではないでしょうか。
前者は、個のニーズに応えることが結果として組織の成果に繋がるという考え方です。「仕事を通じて自身が成長できるかどうか」は、新卒の企業選択における上位要素です。それはむしろ、敢えてアンケートをとるまでもなく当然のことでもあり、何年経っても成長できない組織や仕事よりも、自身がスキルアップしたり成長できる方がいいに決まっているはずです。このことからも、研修を整えることが重要なのではなく、個人の成長やスキルアップをサポートする体制として教育体系が機能しているかどうかが重要です。
後者は、組織の成果を最大化することが、結果として個の充足に繋がるという考え方です。ある組織に属している以上は、組織目的や目標への貢献が求められます。そのためには、「そもそも何を目指しているのか」「どこに向かうのか」を知ることが重要であり、そこに向けて各自がどのような貢献をするかを主体的に考える必要があります。組織としての明確な期待を明示し、そこに向けて力を結集することが、結果として組織業績に繋がり、その結果として報酬を含めた個人の利へと繋がっていくため、教育機会というトリガーが組織成果に繋がるかを考えることが重要です。
教育体系とは、結局のところ自社の社員にどうあってほしいか、どうありたいかという理想が表現されたものです。教育である以上は、この理想を目指すことが何よりも重要です。ただし、今回のコラムで論じたいのは、「人事の思いだけでは人は動かない」ということです。社員の行動原理に影響を与えるそもそもの制度や、前提にある思想を客観的に見直すことが重要であり、特にジョブ型への移行を含めた制度改定の変革期においては、「変えるべき何か」を明確に特定しなければなりません。基本的に人間は、「合理的に動く生き物である」という視点を持つことが、教育体系を機能させる上において、人事が外してはならない要素だと考えます。
まとめ
- 社員の行動に影響を与えている制度上の大前提を押さえることが重要
- 人事主導から現場主導へのパラダイムシフトが鍵となる
- 研修ありきではなく、教育という広い概念の一部として捉えることが重要
- 人事が担うべき教育の目的や意義を再定義することが重要
この記事では、教育体系構築に焦点を当てて解説しました。自社の教育体系の見直しや構築、効果的な運用に向けた一助となれば幸いです。
リードクリエイトでは、企業や組織の人事部門の方に向けて、リーダーの選抜と育成に関わるソリューションを提供しています。
これからの自社の制度にあった教育体系を考えたいと思っている、作り上げた体系を効果的に運用したいと考えている、人事と現場が連動した教育体系に進化させたいと思っている、といった問題意識やお悩みを抱えている方は、お問い合わせください。
この記事の著者
株式会社リードクリエイト 常務取締役 菅 桂次郎
2003年7月よりリードクリエイトに参画。人材マネジメント全般に関わるコンサルティング営業を経て、2014年よりアセスメントサービス全般の開発から品質マネジメントを中心に、リーダー適性を見極めるアセスメントプログラムの進化を目指して活動を展開中。
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